初めてのライード

羊解体中のキイコとサファ

12月8日月曜日ライード前日
タクシー乗り場で10時の待ち合わせだったが、10分たってもディレクターハッサンは来ない。電話をしたら、11時まで待って欲しいとのこと。一度家に戻る。
11時10分に現れたディレクターハッサンと息子さんアハメッド。ハッサンはひげをきれいにそって、いつもにもまして貫禄があって格好よかった。
セフローまでのグラタク、なんと、やぎちゃんも同行。羊だけをいけにえにするので、やぎちゃんはお土産らしい。でも、あとから他の隊員から聞いたところ、裕福な家庭では牛もいけにえにしたそうだ。

ハッサンの奥さんのご実家では、奥さんと娘さんのサファ、ハナ、そして彼女のご両親と妹さんご夫婦の3家族が出迎えてくれた。
お昼ごはんを頂いたあと、みんなでメディナへお出かけ。ライードを新しい洋服で迎えるため、たくさんのお店を見て周る。特に小さい子は上から下まで新しいお洋服を着る。メディナは今まで見たことがないくらい人で溢れていて、日本の年末と似ているとつくづく思った。ハッサンは「大切なフェトの前には、たくさんの物を買うから、お金がいるんだよ。」と、女性陣の買物ぶりに半ば呆れたように話してくれた。

12月9日火曜日ライード初日
9時に朝食。モロッコ朝食の定番、ホブス、クレープみたいなムラウイ、クッキーなど。サファから日が昇る前に、尾墓参りをする人がいると教えてもらった。おそらくはこの1年で家庭の中で誰かが亡くなった家庭だろう。
10時過ぎに羊を家に入れる。いよいよ始まる。
まずは羊の足を押さえ込む。

おじいちゃんがのどを切る。血がドバッと出る。羊はうめく。何ともいえない苦しげな声で。これはまともに聞けなかった。一番耐え難いものだった。
血が流れ出て、羊が死んだことが確認されたら、肉と皮の間に穴を開け息を吹き込む。すると羊がぽわーんと風船のようになる。軽く皮をはぐ。

頭を落として、羊をつるして、皮を剥ぎ取っていく。この作業はなかなか難しいようだ。

その後、腹部を切り、内臓を出していく。肺、心臓、胃、腸など、ていねいに仕分ける。特に消化器官の胃と腸は何度も洗わなきゃいけないので大変だ。

ここでは3頭をいけにえにした。3家族が集まったから。1家族に1頭。ちなみに大きな羊となると、2000DHする。大都会となると3000DHもするそうだ。1DHが12円くらいなので、2,3万円もすることにえらく驚いた。
昼食にはあらかじめ用意していた鶏肉料理と新鮮な羊のフォア、肝臓を炭火で焼いたもの。これが本当においしかった。肝臓の周りに、羊の脂肪を巻き、塩こしょう唐辛子で味付けをする。
午後ハッサンのお姉さんのお家へ行く。新年のあいさつみたいだった。ハッサンはおしゃべりをした後は、多くの人に電話していた。役場の人や他の学校のディレクターなど。日本の年賀状みたいなものだなあって思った。
私はハッサンの親戚とおしゃべりを楽しむ。難しいのが、羊の儀式を見て、どう思ったかという質問に答えること。何をどう言えばいいか、まだ整理がついていなかったので、羊の鳴き声についての感想しか言えなかった。
夜は胃の煮込み料理。日本で言うところのモツ煮込みってところ。トマトソースでおいしかった。8時くらいの食事。もっと遅いかも、と恐れていたので、とてもありがたかった。おしゃべりをして、10時過ぎには就寝。ハッサン家の時間は私にはちょうどいい進み方だった。ハッサンとは日ごろ話せないことも話せた。まるで日本の飲み会のようだった。リラックスしていたからだと思う。
12月10日水曜日ライード2日目
朝からハナが「キイコ〜おりがみ〜」とおねだりしてくる。セフローで暇なときに、と、折り紙を持ってきた。ハナにいくつか作って見せたら彼女は夢中。1年生の彼女はまだ上手にできないので、欲しいものをどんどん頼んでくる。寒くて起きれないキイコはハナを毛布に入れる。子どもはあったかい。毛布の中でハナのリクエスト、家、飛行機、ロケットなどを作る。作り飽きたら「キイコ」と言われても「アナマシュキイコ<私はキイコじゃないよ>」と言って逃げる。
朝ごはんを食べた後、ハッサンのお姉さんのお家へ。お姉さんだけでなく、彼の姪っ子もいっぱい。姪っ子さんの中には40歳以上の人もいるはず。1月に結婚するモナが羊料理を作ってくれていた。

昼食後はハッサンとハナに送ってもらって、タクシー乗り場へ。この日はメクネスへ移動。セフローからフェズへ、フェズからメクネスへ。
メクネスではYキ、Yジと合流。メクネスのスーパーマーケットでお買い物。ワインもちろん。でも、ライードでワイン買うのにパスポートが必要だった。モロッコ人は買えないのだ。ちなみにライードラマダン以外だったら、アルコールを飲んでいるモロッコ人は少なくない。
12月11日木曜日ライード3日目
夜行バスでY子がメクネスへ。6時前に到着。連絡をもらって、7時ごろYジと迎えに行く。金曜日にYキ宅へまた戻ってくるので、ワインなどの荷物は置いておく。するとお財布まで置いていってしまって大変なことになった。結果的にはYジから300DH借りる。3人でムーレイイドリス行きのタクシー乗り場へ移動。近くのカフェで軽く朝食。
3人が向かうのはムーレイイドリスの先にある小さな村。同期隊員Yちゃんが活動している村だ。ムーレイイドリスで待ち合わせ。Yちゃんと落ち合ったあと4人で村へ。そう、今回は同期4人が村で集合するという一大事なのだ。
平たい村を想像していたら、山に登る途中にあるような村だった。どの家も坂道に面している。4人でお散歩した。ブールメンとはまた違うのどかな風景に出会える。日本の緑豊かな田舎の風景に共通するものを感じる。


お昼も夜もみんなでお料理。Yちゃんがご近所さんから羊肉をもらってきた。ちぢみ、ジンギスカン、サラダなどなど。やっぱりみんなで食べるとおいしい。
Yちゃんは私とは全然違う暮らしをしている。山、物が少ない、ということは共通項。でも、家が全然。水周りに不便さがあるのに、彼女は愚痴も言わず楽しく暮らしているようだった。また、周りの人との関わり方も違う。ご近所さんと家族のように付き合っていた。ダリジャ<モロッコアラビア語>でコミュニケーションいっぱい取っていた。私は今ダリジャを耳に入れないようにする嫌なやつだ。仏語を話せない人とは関わる気がなくなっている。同僚と仏語でやり取りできるから。子どもたちとはちょっとした挨拶だけで何とかなっている。でも、Yちゃんは仏語もダリジャも使いながら、村の人を大切にしていた。すばらしかった。
12月12日金曜日ライード4日目
朝から遺跡見学。ローマ時代の遺跡。紀元前のものだ。今まで見た遺跡の中で一番粗野で、自然に馴染んでいた。ゆっくり歩くのが楽しい。時間と天気が気になってしまったが、この遺跡を見ながら、おにぎりをほおばるのも楽しいだろうなあ。世界遺産に指定されているのに、触り放題。私は小腹が空いたのでYちゃんお手製ホブスをつまみながら見学。このゆるさが好き。


お昼はYちゃんの大家さんのお家でクスクスをご馳走になる。私の中では、始めクスクスはぱっとしなかった料理なのに、最近は週に一回のクスクスが楽しみになっている。それぞれ家庭で味が違う。大家さんのクスクスはお野菜たっぷりで薄味のヘルシーなクスクスだった。おいしかった。
私一人でメクネスへ。休みは日曜日まであるけど、長い休みのあとはタクシーが混んでいて捕まりづらい。ましてやメクネスからだと民営バスになる。乗れないこともあるから土曜日にブールメンに戻るために金曜日中にYキ宅へ。さすがにここ数日あちこちふらふらして疲れ気味のキイコ。
12月13日土曜日ライード5日目
10時のメクネス発のバスに乗る。途中イフラン前から雪が現れる。イフラン中心部となると20センチ以上積もっている所も目にした。どうもその雪を目当てに、近郊から遊びに来た人が多く、町が車でいっぱいだった。私はただひたすら「どうかブールメンには雪が積もっていませんように。」と祈るのみ。

イフランではバスがかなり停車した。隣の家族はお菓子を大量に購入してきた。おじさんから飲みかけのヨーグルトジュースやお菓子などをいっぱいもらった。バスでいい出会いに恵まれるなあ。
3時前にようやく帰宅。久しぶりのブールメン。よかった、雪は積もっていなかった。寒いけど、歩けるのでほっとする。
まずは大家のモハメッド家にお土産のお菓子を持っていく。ちょっとおしゃべりして、ちょっとお菓子や羊肉を頂く。
次に同僚のハッサン・イジェルガニー家へ。さすがライード。彼の兄弟がたくさん遊びに来ていた。ちょっとひるんでしまった。でも、女性同士のおしゃべりが弾んだ。私は5時ごろには帰るつもりだったが、夕食も、と誘ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
10時の夕食まではライードやヴォルヴィス遺跡のことを教えてもらった。ライードは羊の肉を食べることが目的じゃなく、生き物のことを知り、家族と一緒に過ごすことが大切なのだと教えてもらった。また、彼の家ではハッサンが羊の喉を切ったら、あとは肉屋さんの頼んだそうだ。全部をするのは大変なことだかららしい。そういう家庭は多いそうだ。また、遺跡にあった様々な彫刻は盗まれたこと、そしてイタリアからどうやってモロッコに渡ってきたかなど、多くのことを教えてもらった。5年生の教科書に、遺跡のことが載っている。
夕食はお米料理だった。とてもおいしかったんだけど、残念ながら10時になると、そんなにいっぱいは食べれなかった。食事をしたら、すぐにハッサンと妹さんと、息子くんが一緒に送ってくれた。夜一人で歩くのは本当に怖いので、家のすぐそばまで送ってもらえてありがたい。

ということで、このライード、予定していたよりもはるかにモロッコの人々と一緒に過ごせた。でも、実は、まだまだ続く。明日はナジュワに会いに行こうと思っているから。