アリがいない

大好きなアリが死んだ。
タズルマットの仏語の教師、アリ。初めて会ったときから、すごく親切だった。その日のことをよく覚えている。2008年9月、その年の学校初日の日、各学校を挨拶に回った。タズルマットに行くと、事前に挨拶をしていた校長は不在だった。どうしたもんか、としていると、校庭で同僚教師と一緒にいたアリが自ら私のほうに来てくれ、声をかけてくれた。そのときの私はフランス語は全然だった。アリがゆっくり話してくれたおかげで、なんとかコミュニケーションが取れた。できるだけ早く先生たちの名前を覚えたかったので、ノートを取り出し、「皆さんの名前を書いてほしいんです。」と言ったら、アリがタズルマットと分校ティントのすべての教師の名前を書いてくれた。
休み時間の会話、大切な情報を伝えてくれたのはアリ。ブールメンの自然や人々の暮らしについても教えてくれた。授業も熱心に一緒に指導してくれた。私が間違ったフランス語を話すと、その場で言い直してくれた。DELFの試験前は、仕事後で疲れているのにも関わらず、お金も取らずに毎日2時間も教えてくれた。受かったときは、顔をくしゃっとさせて喜んでくれた。お家にも何度も招いてもらった。
久しぶりにアリの家を訪れたのはアリが亡くなった次の日、14日水曜日だった。その朝、私は大家さんからアリの死を知らされた。胸の中が表現できない苦しさでいっぱいだった。一人でいることは耐えられなかった。頼り切っているハッサン校長の家に上がりこみ、もう一度アリの死を確認しただ泣いた。午後アリの家を訪れると、アリの家には知らない人がいっぱいだった。アリのために集まっていた。たくさんの人はいても、アリはいなかった。その光景がさらに悲しくさせた。
アリの死は事故だった。詳しくは述べない。狩猟が趣味のアリ。同行者が持っていた銃を転びそうになったとき、打ってしまったのだ。弾はアリの頭、耳の上の方に当たった。場所は山の中。助けが遅れた。10日間の昏睡状態のあと、意識を取り戻さないまま、帰らぬ人となった。
事故の4日前私はアリに道端で会った。Bonjourと挨拶を交わした。その週の火曜日にはいつものように一緒に仕事をした。毎週火曜日に一緒にいたアリがいない。アリとはもう会えない。アリとはもう話すことができない。
こんな風な別れがあるとは思ってもみなかった。アリが事故にあったと知ったときから、やたら涙が出てずっと不安だった。泣きじゃくる私を見て「悪い方向に考えてはだめだ。」と言った人がいる。確かに、と思い、アリが目覚めることを願った。
アリのお母さん、そして奥さん。二人は挨拶に行ったとき、気丈だった。不安な10日間を過ごし、涙も枯れきったようだった。それでもふと見せる表情に彼らの深い悲しみを知った。今日、ある人から預かったお金に自分のものを足して、アリの家族に渡しに行った。時間が経ったからこそ、皆の疲れや悲しさが増していた。
この週末、ラバトで過ごした。大使館での新年会があったから。出席をためらっていたけど、アリの事故を知って以来本気で笑うことができず、このままでは自分がだめになると思い、出席することにした。隊員とも話をしたし、素敵な出会いもあった。しかし、無理に笑顔を作ると、そのあとの落ち込みが一段と深いことを知った。
火曜日、タズルマットでの活動の日。みなが沈んでいる。アリがいた場所、すべてに悲しみが満ちている。
アリがまだいるような錯覚に襲われる。アリがいないことを信じたくない。自分に言い聞かせようとすると涙が出る。
今はまだブールメンの人々とアリのことを話せない。おそらくみんな同じだ。アリと親しかった人はみなただ耐えている。アリがいないことを耐えている。静かに耐えて、そして、いつかアリがいないことに慣れたとき、アリのことを笑顔で話ができるようになるのではないかと思う。