すべて終了

エコールセントラルでの授業も終わり。ブールメンでの活動がほぼ終わったって言っていい。
午前中の5,6年生のクラスではいつものごとく叱りながらの授業。おしゃべり、からかい、よそみ、雑な扱い、、、。リコーダーの前にしつけの問題。外国人の私の授業のときはとにかく騒がしい。それを沈ませることは時間をかけるとできるんだけど疲れる。頭に来ながらも、心を込めて最後の挨拶をして、子ども達が「アリガトーゴザイマシタ」と日本語で言ってくれるとつい笑顔になる。
午後のクラスではモハメッド・ラジルとムスターファ・シャイリー、この二人のクラスでは丁重にもてなしてくれ、最後なんだって実感。
モハメッドはいつも以上に授業に参加してくれた。子ども達の間を回って、子どもが集中するように気を配っていた。授業終了後代表の子どもが「キイコの様々な授業を忘れません。気をつけて日本に帰ってください。」って言ってくれた。泣ける。
その後ムスターファのクラス。コーランを子どもも先生もそらで詠んでいた。気に留めず授業の準備をしていたけど、子ども達の机を見ると、コーランの授業とはまったく関係ない教科書だった。子ども達はみんな私を見ている。私のためのコーランだと気づいた。ムスターファの心遣いに感謝。張り裂けんばかりの声でコーランを一生懸命詠む子ども達に感動。
授業終了後子ども達からたくさんのプレゼントをもらった。金銭的に厳しい生活をしているマリアンまでが、アクセサリーを買って、ラッピングをして、用意していてくれた。マリアンとの思い出がよみがえる。ブールメンに着いたばかりの5日間青年の家で寝泊りした。彼女のお父さんはそのときは青年の家の管理人だった。マリアンとはそれ以来の付き合いだ。トイレにはうじ虫、手洗い場に水は出ない、顔を洗うのはうじ虫だらけのトイレの横、うがいはそこでしたくなかったのでミネラルウォーター、食事はフランスパンだけ、窓をあけると男だらけ、だから窓は閉めたまま、もちろんインターネットもできない。そんな状況で5日間を過ごした。思い出してもよく耐えたと思う。過酷な青年の家生活を支えてくれたのはマリアン家族だった。
笑顔で見送ってくれる子、私と同じ泣き顔になっている子、しゃくりあげている子、みんなからキスをもらって、笑顔で手を振ってお別れをした。
約19ヶ月、ブールメンの子ども達と関わってきた。ずっと一緒にいたから、それぞれの個性を知ることができた。それぞれが持つ問題も少しだけど知ることができた。先生達のことも分かった。授業中の教師同士の会話は彼らの問題が起こったときにもたれるもの。怠慢ではないんだなって分かった。日本みたいなシビアな仕事の仕方ではないけど、ブールメンの教師は他の地の教師よりも勤勉だと言い切れる。
活動当初、私を相手してくれない教師は結構いた。「お前はフランス語が話せないからお前とは話さない。」と言われたこともある。言葉ができないから子ども達と一緒にからかった人もいる。でも、今はみんな私を大切にしてくれているって思える。ある先生はお別れの挨拶に「キイコは子どもも大人も同じようにその人を大切にしてくれた。だから僕達もキイコを大切にしている。」と言ってくれた。
愉快なおっちゃん先生に囲まれキイコは結局は幸せだったんだなあって思う。