おうち

おうちに今朝到着。午後から挨拶周り。日本人だなあ、わたし。
たくさんの人に会ってなんだか不思議な感覚。モロッコがどこかに行ったみたい。
今日早速運転。左側を走ることはちゃんとできたけど、車優先社会に慣れてしまい、横断歩道を歩いている人の前を車でつっきてしまった。あぶないあぶない。こわいこわい。

別れ

ブールメンを出てしまった。現在ラバト。
月曜日までネットを使えるように頼んだのに少々の誤解のため金曜日に止められる。なんてこったい。久しぶりのインターネット。


金曜日はマリアンの家に行って朝ごはん。帰宅後片づけ。
12時にナジュワと待ち合わせ。行先はナジュワのお母さんのお墓。ナジュワのお母さんが亡くなったのはアリが亡くなる3日前。以前から病気と戦っていたお母さん。帰国前にお墓にあいさつに行けてよかった。いつものようにクスクスはハッサン・イジェルガニー家へ。お野菜たっぷりのクスクスをご馳走になる。たくさん食べたあとはハッサン・ラッフォウのお家へ。お母さんとお菓子作りの約束をしていた。2種類のお菓子を作る。途中でモロッコテレコムに行く。解約証明書を受け取りに。大変だった。ミッスー支店から送ってもらうのが月曜日だと言う。それじゃ困る。メールで送ってもらうことに。ところがモロッコテレコムのネットの調子が悪くて受け取れない。最後はファックス。しかしモロッコテレコムにファックスはない。スークにある写真屋さんに送ってもらうことになる。受け取りに行くのは私。往復10分を走る走る走る。証明スタンプをもらっておしまい。その後一旦家に戻って片づけ少々。夕食はサロワのお家。帰宅後も片づけ。

土曜日は特に親しくしている人へお礼の贈り物を持ってあいさつ。エコールセントラル・エコールアラール・ハッサンイジェルガニー・ナジュワ・サロワ・ハッサン校長など。子どもたちの前で涙を流した大家さん。いつも冷静な人だけにショックだった。今となっては分かるけど、気丈に振る舞っていたハッサン校長も私からの手紙を読むと首を横に振りながら涙。強気なサロワが「お願いだから明日も来て。これが最後だなんて、、、。」と泣きながら私に何度も言う。私をいつも助けてくれた人たちは私がいなくなった後、穴がぽっかりあいた感じがするんだろうなって思う。この日は泣きすぎて頭が痛くなった。訪問疲れも重なって久しぶりにダウン。

日曜日快晴。朝からサロワがやってくる。渡し忘れていたというプレゼントを持って。午後ちょっとだけ顔を出すと約束をした。この日は一日片づけ。やっとほとんどの時間を家で過ごす。でも中学生が訪問したり、なんやかんやと私の片づけは進まない。片づけするのも下手なんだけど、家にいる時間が本当になくって、なかなか進まない今回のお引っ越し。夜やっとなんとかめどがついて夕食をハッサン・ラッフォウの家で過ごす。のんびりテレビを見ながら。普通にしてくれるのがありがたい。

月曜日快晴。ブールメンらしい濃い青空。土曜日に泣きすぎたおかげですがすがしくブールメンを出ることができる。大家さんの車でグラタク乗り場まで送ってもらう。大家さんは校長の許可が降りたらセフローまで送ると言ってくれたけど断った。いつもと違うことをすると本当に別れてしまうような気がした。だから、いつもラバトに行くように一人でグラタクを乗りついで行った。荷物はミニスーツケースとプラスチックのバッグとリュック。荷物は3つにまとめるって決めていた。それ以上は運ぶ自信がなかった。だから持てない荷物は置いてきた。「取りに来るから。」と。そもそもそんなことになったのも驚くほど贈り物を頂いたから。ブールメン近郊独特の刺繍製品の数々。皮つきアーモンド4キロ。オリーブオイル3リットル。日本のお母さんに、と、ジュラバとガンドゥラ。お手製お菓子まで。みんなの愛をいっぱい受け取ると荷物はパンパンに。

必死の思いでなんとかラバトへ。モロッコ滞在残りわずか。日曜日は空。

あいさつ回り(第二弾)

今日は朝から動きまくる。9時前にエコールアラールへ文房具や洋服を持って行く。ハッサン校長に預ける。校長先生は会議だとかでその後一緒に帰ってくる。月曜日、校長向けに行った最終報告で、エコールマルカジーヤの校長が欠席していたことを話す。ミッスーに出張という理由で欠席していたのに、なんと、その出張からは午前中には戻ってきていたそうだ。ハッサン校長はあきれていた。私もまた彼に幻滅。サロワに話したら「信じられない。私、本当にあの人大嫌い。」と言っていた。私も同じ。JICAに対して失礼だ。わざわざラバトから来ているのに、ブールメンにいるくせに出てこないなんて。
ハッサン校長と別れたあと昨日会えなかったマリアンのお家へ。残っていた食材を大量に持って行く。いっぱい引き止められて結局明日の朝食に訪れることにした。
その後家の片付け。でもまだまだ、、、。終わったつもりだったのに、、。エコールセントラルにちょっと顔を出す。愉快なおいちゃん先生に贈り物。
お昼はサロワ宅へ。サロワと一緒に食事の準備をする。サロワの家には金曜日も土曜日も行く。土曜日は最後なので大好きなケーキをリクエストした。
14時にマイケル行きつけのお家へ。ピザをちゃんと用意していてくれた。写真を撮って、以前撮っていた写真を渡しもした。
早めに出たので、アリのお家にも挨拶へ。奥さんはまだ喪に服した格好だった。家がしんとしていた。がんばってアラビア語で話題を振った。30分ちょっと滞在してお茶を頂いて出てきた。
市長の家にも。お客さんがいたので早めに出てきた。奥さんから「日本のみんなによろしく。忘れないで言ってよ。」と何度も言われた。
やっと17時に帰宅。ちょっとゆっくりしたら、今からハッサン・ラッフォウの家へ。今日はもう疲れたのであっちでごろんとしよう。

メクネス

昨日はミッスーに行ったあとメクネスの隊員宅へ預かり物を受け取りに行った。フェズに寄ってDELFの合格証も受け取った。いやあ大変な旅行だった。グラタクの待ち時間を除いたら通常フェズまで2時間、メクネスまで3時間半。なのにフェズまで3時間、メクネスまで5時間。長い旅だった。
ブールメンからセフローの道で雨のため道が冠水。スコーラを通る道だったら車が通れるということで、1時間で着くところを2時間かけてセフローへ。セフローからフェズは大丈夫だった。ところがフェズからメクネスがまたあちこち冠水。回りまわって1時間で着くところを2時間かけて。
なんて長い旅だったのか、、。フェズのグラタク乗り場の顔見知りのお兄ちゃんがプチタクシーを拾ってくれて助かった。タクシーの運転手が合格証を受け取る間、追加料金なしで待っていてくれてありがたかった。もちろんチップを払う。メクネスで道を尋ねた警察官が優しかった。大変だったけど人には恵まれた。
ブールメンに帰ってくるのも大変だった。駅で電車が動いていると聞いて切符を買って待っていたけど、到着予定10分前になってメクネス周辺で雨のため電車が止まっていると教えてもらった。駅のおじさんが自ら払い戻してくれた。この人もまたいい人だった。グラタクは動いていた。昨日通った道は完全通行止めのため高速を通る。3DH追加でもこれでばっちり。セフローからブールメンも問題なかった。しかも待ち時間5分。すごい。最近私グラタクの読みがあたりまくり。
ブールメンは雪が降ると大変。メクネスやフェズは雨が降ると大変。

あいさつ回り(第一弾)

旅行から帰ってきて早速あいさつ回り開始。先週ストのためお休みしたティントへ子ども達に渡す洋服を持って行く。大家さんが車を出してくれた。ティントの教師サイードはこれで最後だと知って、本気で驚いていた。どの人も何度話してもその日が来ると驚く。子ども達に別れの挨拶をさせてくれた。サイードの家族にちょっとしたプレゼントを渡した。すると夕方留守の間にびっくりするほどの贈り物がサイードから届いていた。大好きなものばかり。ここまでしてもらって、、、と思うくらい。
ティントのあとはハッサン・ラッフォウのお家へお昼ご飯。調理できるものがほとんどないので、ハッサンとサロワを中心に食事のお世話になる予定。今日から月曜日までで軽く3キロは太りそう。
その後モロッコテレコムへ電話とインターネットの契約解除に。「今日は全部支払います。」「もうモロッコでの活動は終わったんですか。」「なぜ知っているんですか。」「全部払うと言ったら、モロッコから出て行くってことでしょう。」勘のいい人でよかった。色々説明せずに簡単に済んだ。でも解約証明書はすぐにはもらえないので金曜日にまたモロッコテレコムへ行くことに。
家に戻って人に渡す物の整理。ばたばたしていると、中学生が訪問。親しくしているフェティマズハラがプレゼントを持って来てくれた。私が日本に帰ることを知っていた。記念に写真を撮る。私の写真がほしいというので、持っていた証明写真を渡す。
教え子マリアンのお家へ。4時から5時くらいに行くと言っていたのに5時まで待っても帰ってこなかったから、寒くなってあきらめた。次にマイケル行きつけのお家へ。ここもお母さんは留守だったけど、彼女のいるところまで案内してもらった。お茶をして結局明日14時にまた訪れることになった。ピザを用意してくれるとのこと。さらにサロワの家に行って明日のスケジュールの打ち合わせ。お昼ごはんにお邪魔することに。サロワの家は10分ばかりの滞在。その後市長の家にも。ここもまた奥さんがいなかったのでガードマンに「アスゴジクル」と単語をつないだだけのアラビア語で伝言をして帰る。
ナジュワの家へ。ナジュワにはたくさんの物を持って行く。作り損ねたジュラバの生地、渡し損ねていたナツメヤシなどなど。その後ナジュワのアルバムを見ておしゃべり。イフランにある大きな木の写真で盛り上がる。「キイコこの木、知らないの?行った事ないの?イフランのそばよ。イフランよ。ブールメンから50キロしか離れていないイフランよ。それを知らないの?なんでー。大問題よ。大問題。行くべきだよ。2年モロッコにいて、行ってなかったの。これは大問題よ。土曜日は、、私用事があるし、、、。あーもーなんてこと!」私は誰もが訪れているイフランの名所を訪れていなかったそうで、ナジュワは本気で悔やんでいた。
さて20時30分にハッサンにナジュワの家に迎えに来てもらってハッサン宅へ。22時夕ご飯。24時前に帰宅。
今日だけで6軒を回る。

最終報告(ブールメン・ミッスー)

最終報告が終わった。ブールメンでは校長先生達に。ミッスーの教育委員会では初等教育担当者に。
エコールセントラルの校長は出張だとかで欠席。代わりに2年生のモハメッド・ラッフォウが出席。またハッサン・ベッカーやドリスまでが出席。そうなるとちょっと困るわけで。発表原稿には「教師がよく出て行って困った。5分でもいなくなると子ども達は騒然として大変だった。教師が30分の授業中必ずずっといると信じられたら、もっと難しいことも提供できたが、この現状ではここまでが限界だった。」と言いたかったけど、直接教師に伝えるのはまずい。ってことで当たり障りなく。でもこれだけは言った。「私がフランス語を使ったのは教師に訳してもらうという役割をもたせたかったから。そうすることで教師は教室にいてくれると考えました。」キイコの本音をようやっと伝えた。ハッサン校長の表情から私の苦労が分かってもらえたと感じた。
ハッサン校長から感謝状を受け取った。私のリクエスト通りフランス語とアラビア語で。アラビア語はわざわざ手で書いてくれた。またJICA関係者にも感謝の気持ちを表してくれた。2校の校長とは大違い。タズルマットは小さくなって。セントラルはどこぞへ。二人からありがとうなんて期待してはいないけど。
ミッスーの教育委員会では教育長やその下で働く人は残念ながらブールメンに出張に出ていて挨拶ができなかった。だから初等教育担当者に報告をした。ここでは考えていたことや言いたかった事すべてを伝えた。教育長に伝えておくそうだ。
どんどん私のすべきことが減っていく感じ。今からフェズ、メクネスへ。外は強風。無事に行けるか心配。